青ポスの部屋

旅と技術とポエムのブログ

昔のアニメ映画

僕は正直、映画はあまり好きじゃない。嫌いというわけではないが、じれったく感じるからだ。本なら人の1.5倍くらいの早さで読む。本は早く読めるが映画は映像の速度にこちらがあわさなければならない。

しかしここ数年は、昔子どもの頃にみたポケモンとかドラえもんの映画がCSで再放送されていたりすると、ついつい実家で録画して見てしまう。歳がばれてしまうが(かといってそんなことを気にする歳でもないかもしれないが)、90年代が幼稚園、00年代が小学生からティーンエイジくらいの年代なので、ちょうどポケモンが出だした世代だ。

ここからはよくある「昔はよかった」的な話になるのだが、ポケモンやらドラえもんは今も続いているが、やっぱり僕は最近の作品は昔の作品に比べて、大切な何かがかけているように思える。

普段テレビでよく見るドラえもんクレヨンしんちゃんが夏休みや冬休みに大活劇を繰り広げる子ども映画には、テレビのような広い間口でテレビではとりあげられないような大きい問題を子どもたちに示す、という重要な役割があると僕は思う。

たとえば、クレヨンしんちゃんの「オトナ帝国の逆襲」では、子どもたちが、両親のような大人世代がこれまでたどってきた歴史とどのように向かい合うかという問題が投げかけられる。ポケモンの「ミュウツーの逆襲」では、近年になってクローン技術など遺伝子までもを操作可能となった我々にとって、「命の価値とは何か」という重要なテーマを問いかけている。普段お茶の間で見るテレビでは決して取り上げられない、普段の生活では考えることができないような、重く大切なことを夏休みのような時間のあるときに考えさせる、という重要な役割が子供向けの映画にはあると思う。

しかし、個人的には最近の子供向けアニメ映画はそれを忘れているように思える。テーマ曲には――僕が流行歌嫌いなのもあるが――知名度ばかりを優先してアイドルユニットが選定され、そもそもあらすじは昔のリメイクだったり、新作であったとしても「なんとなくいい話だった」といったようなあたりさわりないような話で終わることも多い。

たとえば、環境保護。これは「環境を守りましょう」だとか「緑を大事にしましょう」とか、そんな単純な話ではないはずだ。「森を切り開く敵を退治して自然を守った」とか「毒を垂れ流す工場を破壊して平和が訪れた」とか、そういう簡単な勧善懲悪的な話ではすまない。森を切り開いて材木を売ることで生計を立てていた人は生活できなくなるし、毒を垂れ流すことができなくなった工場は競争に負けて淘汰されるかもしれない。実例は枚挙に暇がない。

映画や音楽も慈善事業ではないので、より多くの人にウケる作品を作るということが目的になる。かといってそれで十分というわけではない。作品に満足してしまったとき、進歩は止まってしまうし、社会的に要請される役割を果たしてこそ、幅広く受け入れられるのだろう。