予土線で宇和島についてから予讃線の次の列車まで2時間近くあった。予土線と予讃線は北宇和島で合流して宇和島へ向かうYの字のような経路になっており、北宇和島で乗り換えればそのまま松山方面へ向かうことができたが、宇和島まで行って散策することにした。
実を言うと宇和島といえばあまりぱっと名所が思いつかなかったのだが、ひとまず宇和島城へ向かってみた。宇和島城は小高い山の上にあり、宇和島市を見下ろすことのできる場所にあった。山と海に囲まれた宇和島の地形は敵の侵入しにくい拠点としてふさわしい場所であり、あの伊達政宗の伊達氏の一族が伊予宇和島藩を治めてきたという。日本史には疎いのだが、分家というわけでもないらしい。
また宇和島城は天守閣が現存しており、登ることができた。個人的に天守閣というと大阪城や姫路城のような7,8階くらいある大きなもののイメージがあるが、宇和島城天守は3階程度の、大阪や姫路に比べると小さな建物だった。だが先述の通り山の上にあるので眺めのよい高い場所にある。
受付で入場料を払って入城した。受付の横においてあるピンク電話がまた別のレトロ感を放っていた。中には甲冑が飾られていた。階段はバリアフリーのバの字もないようなきわめてきついものだったがこればかりは仕方ないだろう。結構きしんだので上り下りが少し怖かった。
宇和島城の近くには、江戸時代以前だけでなく近代のものも含めた資料館があった。宇和島からは実は結構いろんな有名人が輩出されているとのことで、あの大阪の通天閣の建設にもかかわり、京阪電鉄の社長も務めた財界人、土居通夫も宇和島出身とのことらしい。意外なところに関西との縁がある土地で興味深かった。
資料に見入っていたら結構時間がぎりぎりになり小走りで宇和島駅まで戻って予讃線で松山方面へ向かった。予土線と同じく予讃線の普通列車もトイレなしロングシート車両で、しかも予土線より乗車時間が長くきつかった。ここまでくるとサービスが悪いというより、JR四国は心底資金がないんだなあと思った。実はJR四国はJR北海道と並んで収支状況が悪いのである。