青ポスの部屋

旅と技術とポエムのブログ

201603東海旅行 その3 「名松線、新垂井」

亀山から始発で松阪へ向かい、名松線の始発に乗り継いだ。

f:id:bluepost69:20160329213841j:plain

初日とちがって、立ち客が出ない程度に車内は空いていた。乗客はほとんどが同業者のようだった。朝イチの伊勢奥津行きなので仕方ないといえばそれまでだが、おそらく松阪行は通学需要があるだろう。

名松線は朝晩のみ家城で運行系統が切れている。朝の松阪~家城間のみ2両で輸送力を増強しているからだろう。

今回復旧した家城~伊勢奥津間では、車窓からは踏切に立っている「2.26から列車が通ります」という黄色いのぼりが印象的だった。不通となったのが2009年で5年以上も立てば人は「線路は列車が通るもの」ということも忘れてしまうのかと思った。

やがて列車は伊勢奥津駅に到着した。

f:id:bluepost69:20160329215215j:plain

伊勢奥津駅には機関車用の給水塔がそのまま残っていた。駅は住民センターを併設している、というより駅が施設に包摂されているような形で、鉄道が住民の生活の一部になっていることを象徴していた。

駅前は山間部で商店も特になく、昨年訪れた三江線石見川本より人気がなかった。しかし前者は陰陽連絡ルートのひとつでありながら路線存続に苦心しているのに対し、後者では盲腸線で台風で線路が失われ廃止されかけた状況からも復旧へこぎつけている。JR東海は西日本より経営状況がいいこともあるし、平行道路の整備状況も違うだろうが、印象的だ。

伊勢奥津からは、名松線の最初の計画をたどってバスで名張へ抜けるというルートもあったが、バスは1日1本に減便されたうえ列車と接続をとらなくなりそのルートは取れなくなったらしい。今回はそのまま松阪へ引き返した。

---

これでJR東海の路線は走破したかに見えたが、実は1か所だけ乗っていない路線が存在した。それは東海道本線の大垣~関ヶ原の下り本線である。

東海道線の大垣米原は何度も乗ったが、すべて普通列車での通過だ。この区間の大垣から関ヶ原の下り線に見える線路は、実は本線ではなく、垂井線と呼ばれる線路である。

詳しい歴史的経緯はwikipediaに譲るとして、現在は特急列車(しらさぎ、大阪口ひだ、サンライズ瀬戸出雲)のみがその本当の下り本線を通っている。そこで今回はしらさぎで超えることにした。

ところが、亀山で特急券乗車券を買った後関西線で名古屋に戻ろうとしたら、沿線火災でダイヤがみだれており、予定していたしらさぎに乗れなかった。しらさぎの運行間隔は昼間時は2時間空いておりまた大きな時間が空いてしまった。

そこで関ヶ原に行こうとしたら、なんと東海道線の大垣米原間でも沿線火災があり、列車が止まってしまった。とんでもない偶然だ。仕方がないので岐阜周辺で時間をつぶした。

そしてようやくしらさぎ東海道線の下り線を走破した。こうしてJR東海の全路線に乗車した。そしてそのあと東海道線をたどって帰った。

---

個人的に自分の旅行には「しっかり予定を立てて予定通り列車に乗り継いでいく」というタイプと「行きたいところをいくつか決めて後は気ままに行く旅」というタイプがあると思っている。前者は最初に大体乗るスジを決めてしまっておよそそれをたどるのに対して、後者は当日泊まる宿で次の日の予定を決めたりもする。

ここ数回は北海道や三江線などしっかり予定を立てなければ行けないところばかり行ったので少し疲れていた。今回は気ままな旅だったので、やっぱり気ままな旅も3回に1回くらいは必要だなと思った。