2日目は小倉から新山口まで戻った。そして新山口からSLやまぐちに乗車した。
SLは子供の頃に北びわこ号に乗車したっきりだった。あの時はまだ小さかったので米原までの快速列車でもとても長く感じたが、今では京都から下関でも近く感じるので感性も年齢とともに変わるのだなあと思った。もっとも年齢による変化というよりただの慣れという感じがするが。
新山口で待っていると、大勢のアウトドア風の客がいた。なんでも宇部線沿線で夏フェスがあったらしい。「往復の切符を買っておけ」と放送があったが、宇部線で夏フェスの輸送なんてどうしようもないのではと思った。
SLというすべての世代に人気のある列車なだけあって、ホームは親子連れでにぎわっていた。よくある顔はめパネルやグッズ販売のほか、子供向けに制服を貸し出して記念写真を取らせてくれるサービスもあった。山口線のホームで待っていると、推進運転でSLやまぐち号が入線してきた。
発車時刻になると、客車列車特有のハイケンスのセレナーデが流れた。
新山口から津和野まで乗車したが、山口までは結構乗客の入れ替わりが激しかった。湯田温泉、山口でボックスの向かい側の乗客が入れ替わった。
山口からは祖母、母、お孫さんの3人組が向かいに、同世代くらいの学生がとなりに座った。親子連れは地元山口の人で学生は大阪から来たという。お弁当を分けてもらったり、そのお返しに偶然持っていたお菓子をあげたりした。
車窓からは手を振る人がたくさん見えた。山口線は思っていたより勾配がきつく、SLはしばしば空転と思しき前後動を伴いながら進んでいった。トンネルに入ると結構煙が入ってきたりもした。
終点津和野で4人に別れを告げ、益田行きまで散策した。日差しはきつかったが風はとても涼しかった。津和野駅そばでの転車台で機関車の回転を見た後、街を散策した。
津和野は「山陰の小京都」と呼ばれる昔ながらの街並みを残した風情あふれる街だった。水路には鯉が泳いでいた。しかし日差しがとにかく暑く、水も暑さで繁殖した藻のせいか濁っていたので、ただただ暑苦しい感じだった。秋口くらいにくればいい雰囲気だろうなと思った。
益田行きに乗車し、益田から山陰本線で鳥取まで出た。山陰本線は益田からは長門市を経由して下関へいたっているが、本来の山陰道には山口線経由のほうが近い。*1