青ポスの部屋

旅と技術とポエムのブログ

「運」は「量」なのか「強度」なのか

正月らしく、「運気」とは何なのか考えてみたい。

巷では、よく「今年の運を使いきろう!」みたいなスローガンを耳にする一方、「今は運が乗ってる時期だ」とかそういう言い方もする。「いいことはそう続かない」という考えもあれば「いいことがあるときは続く」という考えもある。これは相反するように見えるが、なぜなのだろうか。

物理、主に熱力学では、変数は二種類存在する。物質量の関数である「示量変数」と関連しない「示強変数」である。たとえば熱量、体積は示量変数であり、温度、圧力は示強変数である。

端的に言うと、示量変数は「消費」することができるが、示強変数は直接「消費」することはできない。熱量を持った熱いものが熱量を消費して冷水を温めることができても、温度を消費して温めるということはできない。(しかしこの場合は温度が熱量の関数だから結局温度も下がる。)

運気の話に戻ろう。ここまででは、運気に対する考え方として
(i)運気がいいときは出来事に関係なくよい運気が続く
(ii)よい出来事が起こると運気は消費される
という二つの立場に分かれているように思える。すなわち「消費されるかされないか」というふたつの立場があり、これは運気を示強変数と見るか示量変数と見るかの違いなのである。

示強変数と見た場合、運気はそのときどきによるものなのだから、時間と何かしらのパラメタの関数としてあらわされるだろう。すなわち初期条件を与えればある時期の運勢はある程度予測できる。これはすなわち姓名判断だとか四柱推命だとか、昔から良くある「占い」と呼ばれるものである。

一方、示量変数と見た場合、いい出来事によって運気が消費されるのと悪い出来事によって運気が供給されるのは同等の頻度で起こって、ある人の運気は平衡状態にある、と考えられる。これは完全に確率分布の理論である。

この二つの見方だが、前者は運気は時間の関数として予測可能であると考える点で古典力学的、決定論的であり、後者はあらゆる出来事は行き当たりばったりであって確率論的にしか予測できない、という点で量子力学的、ポストモダン的である。

個人的な感覚としては、運気は示強変数だと思っている。もっとも、運気というパラメタが存在するのかという議論はまた別問題なのだが。