青ポスの部屋

旅と技術とポエムのブログ

「ゲームは1日1時間」に思うこと

注:この記事は某県の条例とは関係がありそうでほぼないポエムです。

本文

うちは「ゲームは1日1時間」の家だった。

とはいえ「ゲームをしすぎると脳の活動が落ちる」とか「愛のない大人になる」とか、そこまで非合理的な理由ではない。「ゲームをやりすぎると片頭痛を起こすから」という至極まっとうな理由である。僕は小学校5年生くらいからたびたび片頭痛に見舞われるようになった。当時は症状が本当に重く、片頭痛になると頭が痛いだけでなく、強烈な吐き気に見舞われて胃液が出るまで吐き続けるという惨状だった。

当初は夕方から夜だけだったのが、だんだん朝にも起こるようになり、そうなると学校も休む日が増えた。それでも僕は学校に行かされた。無理して登校して学校で吐いたことも何度かあった。同級生にもからかわれたり、哀れみの目で見られて恥ずかしかった。

母には「祖母にそうされたから」と聞かされた。母も昔は片頭痛持ちだったが、我慢する以外の対処法を知らなかった。母は道端で嘔吐しても学校に行かされ続けたらしい。家でも、気分が悪いというと「えー今日も?」とうんざりした顔で言われた。今思えば見事な虐待の連鎖だ。自分の子供には絶対やりたくない。

そんな母も心配していないわけでもなく、母なりに情報収集してはいたらしい。その中で一番にそれらしいと思われたもの、それが「ゲーム」だった。

かくして、僕の家ではゲームは1日1時間になった。片頭痛が起こったら、数日は一切禁止、その後数日は30分、といった調子だった。なりたくてなっているわけでもないのに、頭が痛くなったらゲームが禁止される、ゲームやりたい盛りの小学生には理不尽なシステムだった。

確かに片頭痛は光の刺激によって起こる。今でも丸一日PC作業をした後に頭が痛くなったりすることがある。今は「アイマスクや耳栓をして暗く静かな場所でしばらく休む」という対処を知っているが、当時はゲームだけがやり玉にあげられていて、頭が痛いときはなぜか「居間で寝てなさい」と煌々と光る蛍光灯を見ながらカーペットに横になっていた。つまり何らかの理屈の元で決まったわけではなく、親が「なんとなく」で決めたルールだった。

当時はポケモンロックマンエグゼが流行っていたが、当然ほかの同級生にははるかに遅れを取ることになった。特にポケモンのようなRPGは明らかだった。ほかの同級生は1日何時間でもやりこんでレベル100のパーティを作りこんでくるが、自分はお気に入りの最初のポケモン1体さえレベル100にできなかった*1。当然通信をすると負ける。

そんな状況だから子供のころに僕は「苦労して勝負事に勝つ」という感覚を覚えることができなかった。今でもこの歪みは直せていないようで、「主体的に勝つために努力をする」という活力が不足していると感じることが多々ある。学習性無気力というやつだと思う。

それに、普通にゲームが遊べる同級生がうらやましかった。うらやましくてたまらなかった。そりゃ「勉強もできないのにゲームばっかり何時間もやっていたら怒られる」のは当たり前だって小学生でもわかる。自分はテストはほぼ毎回100点を取って帰ってくるのにやらせてもらえない。じゃあなんでダメなのか?

でも家は狭いから隠れる場所もないし、やりすぎると頭痛になるのでまた怒られる。毎日が本当につらかった。定期的に頭も痛くなるし具合悪くなるし、そのたびに親にはめんどうくせえやつみたいな扱いを受ける。しかも頭痛のせいでゲームもやらせてもらえない。今思い出して文書に書き起こしてもつらくなってきた。

結語

一番言いたいのは「子供のやりたいことを制限するなら、それに見合うだけの合理的な理由を用意しろ」ということだ。自分の場合そこまで非合理的かといわれると微妙だが、合理的だったとしてもこれだけの苦痛や嫉妬、禍根を残してしまう。そりゃ学校で平均点も取れないのにゲームばっかりやってるとかだと話は別だが、いやそんな場合であっても「なんとなくゲームが悪いに違いない」くらいの理由で禁止するべきではない。子供も一人の人だから、当事者の意見は尊重されるべきだ*2

*1:自分が初めてポケモンをレベル100にしたのは、確か中学校に入ってからだったと思う。パーティを1組レベル100にするのに2,3年くらいかかったと思う。当然その頃にはブームは去っている。

*2:子どもの人権条約第12条 https://www.unicef.or.jp/kodomo/kenri/syo9-16.html