読書の秋ということで、前から気になっていたサンデルの本を読もうと思って、楽天ブックスで買いました。
感想
序章 市場と道徳
- 「市場原理が投入されることで、他者が目的ではなく手段となってしまう。」というのが一番の主張だと思う。
- カント以来の道徳学の原則として、「他者を手段ではなく目的とせよ」という道徳法則がある。ある営みが市場に出された時点で、それは目的ではなく手段となってしまう。そのため道徳的原則に反するものになってしまいうる。
第1章 行列に割り込む
大小さまざまな論点がいろいろ混ざり込んでいて少し内容が厚すぎる気がする。
- 前半と後半で少し論点が分裂しているように感じる。
- 1つは「お金を払って行列をパスする」ことが認められうるか。言い換えると、お金と時間を取引することは認められるか。
- もう1つは著者は明示的に分けていないが、コンサートのようにその時でしか体験できないことをお金で取引することの是非。
- 市場が提示する価格は、その人がいかにそれを必要としているかだけではなくその人の支払能力にも依存するため、市場で機会を分配する方法は妥当でないことがある。
- 具体例としてダフ屋行為が挙げられている。今で言う転売ヤーの問題にも通じる。「第三者が利益を得ることの是非」は章を分けるべきだと思う。
第2章 インセンティブ
現代の市場は「xxしたらお金がもらえる/料金があがる」というような「インセンティブをつける」という仕組みが、人の行動を決める重要な要素となっている。そのインセンティブに対する批判の章。
- 保育所の「延滞」料金問題については聞いたことがあった。
- 「料金」は単なる支払い義務だが、「罰金」は反省を促すもの。なので交通違反の罰金を支払い能力に比例するようにして、富豪からはスピード違反でも高額な罰金を取るというシステムが紹介されている。
- インセンティブをつけることは、短期的に見ると人の行動を変容させるのに有効な手段たり得る。
- しかしそれは外発的なものであるため、長期的に見れば「お金のためにやることだ」というような曲解をされたり、「お金さえ払えば良心の呵責なしにやってもいいんでしょ」というような免罪符になってしまうことがある。
- 章末で、そもそも「インセンティブ」というものが研究対象とされた経緯が載っている。
第3章 いかにして市場は道徳を締め出すか
お金を払うと価値が失われてしまうものを列挙する章。
- 贈り物をギフトカードや現金にすると、贈り物の「自己表現」としての特性が失われてしまう。
- それもそうだが、贈り物は真剣にやるものもあれば儀礼的にやっているものもあり、全てに対して表現性を問われてもそれはそれでしんどいというところ。
- ここで「公正」と「腐敗」の2つの観点が現れる。
- 公正の観点:果たして本当にその取引は平等な条件下で自由に行われたものか。貧乏な人が売らざるを得なかったりしないか。
- 腐敗の観点:それって道徳的にいいのか。何か重要な善が失われていないか。
- 実際のところ、大学で多額の寄付をした人は入学基準がちょっとゆるいとか、隠蔽されている面もある。(「寄付金で合格させたじゃないんか」と言われたら「いや他の基準もよかったので」と言える)
第4章 生と死を扱う市場
主に生命保険の話。
- 生命保険自体博打と紙一重(まあリスク商品だしね)。
- そのため「生命保険」というものが一般的に認められるようになるには長い歴史があった。
- ところが、最近は生命保険の転売とか、証券化とかめちゃくちゃやられている。
- 生命保険自体、「特定の人が死ぬ」ことで受取人に利益が出てしまうため、死んでほしいというインセンティブになってしまう、という欠点を抱えている。
- そこで難病患者や高齢者から死ぬ前に保険を買い取ってお金を払う会社が出てきた。
第5章 命名権
いまや市民権を得てしまった命名権(ネーミングライツ)、そして様々な領域へ進出する広告の話がメイン。
- MLBでも球場の名前がコロコロ変わってけしからんという話から始まる。
公共のシンボルが命名権契約によって変容してしまう。
もう一つの重大な論点:スカイボックス。かつてはVIP席などなくお金持ちも貧乏人も同じところで試合を見ていたのに、今はお金持ちは区画分けされたスカイボックス席から観戦する。
- つまり社会が発展すると貧乏人とお金持ちが分断された場所で生活を営むことになり、それは民主主義の前提条件である「万人に共通の善を共有していること」を阻害してしまう。
- でも論点ずれてません?
全体を通して
文体的には読みやすいと思う。
ちょっと用語の使い方が極端だと思う。
- 道徳的に価値が失われるものをまるっと全部ひっくるめて「腐敗」って言ったり
- 「賄賂」の使い方もそう。
- で結局何が「腐敗」なのかは、最後まで明示的に示されることはない。
- そうなると「それって結局気分の問題じゃないですか?」と思ってしまう。
出されている事例はアメリカのものが多いが、やっぱりアメリカぱねえなという感じ。
- そりゃこんだけ何でもかんでも証券化して転売しようとしたり、どこでもかしこでも広告出してりゃこんな本も書きたくなるわ。
- 日本はまだ市場に対する嫌悪感があるのでここまでひどくないが、資本主義社会にいる以上対岸の火事というわけでもない。
現れている問題は、資本主義が発展して物質的には満ち足りてしまったがゆえのものだと感じる。
- かつては産業(=資本主義)を成長させればさせるほど、生活は豊かになり、また人の行動可能領域も広くなっていった。
- しかし現代では社会が飽和してしまい、単純には成長を見込めなくなった。
- それでも産業を成長させようと思うと、「これまで手つかずであったものを証券化して売る」であるとか、「至るところを広告として売買する」というようなよくわからんことをしないといけなくなった。
最後に疑問:どうして市場だけが腐敗を引き起こすのだろうか。
- 行列(=時間)との対比で、どうしてサービスを受けるために時間を消費することは腐敗を引き起こさず、お金を消費することは腐敗を引き起こすのだろうか。
- 「タイムイズマネー」の精神だと等価なのにね。
- 公正さの観点を阻害するというのはあるが、それなら「このコンサートの料金は所得の1%です」とかにすると解決しないのか。
- いっそのこと100%ランダムにしたらいかんのか。
まとめ
「市場を受け入れる」ということはよく考えてやらないといけないなと思いました。
今やいろんなものが民営化されて、そして問題が現れて、市場化の事例は枚挙に暇がないですが、市場化されることで失われるものをよく考えないといけないなと思います。
反面、この本は反市場主義によりすぎているので、そのあたりは気をつけながら読まないといけないとも思います。我々は資本主義社会に生きている以上、市場というものとうまく付き合っていかないといけません。