青ポスの部屋

旅と技術とポエムのブログ

201508北海道旅行その2「八甲田丸」

早朝に仙台を出発した。北東パスは自動改札も使えるが、有人改札で改札印を入れてもらった。

始発が石越止まりだったので石越駅で降りてみた。しかし本当に何もない。前に坂町で下りたときも駅前には何もなかったが、それと同じ感じだった。

駅にもどると、年配の駅員さんが「何もないでしょう」と話しかけてきた。時間があれば遊園地のようなものがあるらしい。この後はまなすを使うということから寝台列車の話題になり、話が弾んだ。次の列車に乗り込むときは「良い旅を」と言ってくれた。

その後一ノ関で乗り換え、盛岡に着いた。盛岡から北はIGRいわて銀河鉄道になるのだが、しなの鉄道伊勢鉄道など他の三セクとは異なり、IGR線とそれに乗り入れる花輪線の改札はJRのほかの線とは別になっている。下車印をお願いするとJR改札ではJRのもの、IGR改札ではIGRのものを押してもらえた。

列車はそのまま目時駅からは青い森鉄道に入る。IGRと青い森鉄道はともに北東パスが使える。八戸で乗り換えて、青森へ向かった。

途中、ものすごい轟音が聞こえた。雷かとおもったが、どうやら三沢基地から飛び立った戦闘機のようだった。三沢は周囲に人はあまり住んでいないが、沖縄などで基地の近くに住んでたら確かに抗議のひとつもしたくなるだろうなと思った。

青森駅に到着すると、ものすごい偶然だが、元北斗星の車両とおぼしき客車が回送されていた。

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北斗星の客車は今後は廃車されるとのことである。これで臨時列車としての季節運行の望みもなくなってしまった。

青森では、以前はまなすからリゾートしらかみに乗り換えるときに入れなかった、八甲田丸に入ってみた。八甲田丸は以前青函連絡船として実際に使われていた船で、現在は中を青函連絡船の歴史を伝える展示施設として、青森駅近くに係留されている。

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中は実際に使われていた設備がそのまま残っていて、なかでも車両甲板は圧巻だった。「列車をそのまま船に載せる」という今の僕らには見当もつかないようなことが昔は行われていたのだった。

その夜はまなすに乗車した。札幌から青森へは2回乗ったが、青森から札幌は実は初めてだった。青森行きでは函館での機関車付け替えが深夜3時で青函トンネル通過はその後朝方だったが、札幌行きは函館到着が1時ごろと早めなので、青函トンネル通過、函館到着まで起きていた。