青ポスの部屋

旅と技術とポエムのブログ

20221228 長浜

18きっぷの4回目に長浜に行きました。

前置き

虎姫駅は2015年に訪れている。

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2015年ごろは乗り鉄ガチ勢で駅を降りたり下車印をもらったら満足して次へ行っていたので、虎姫駅周辺は下車こそすれどもろくすっぽ歩いていない。

虎姫駅周辺には元三法師として知られる良源の生誕地として建立された玉泉寺や、周辺の氏神様である大木本神社などの寺社がある。今回は大木本神社と玉泉寺に参拝することを主目的に、虎姫や長浜周辺を散策することにした。

新快速 新大阪→虎姫

クリスマスを過ぎて年末のことを意識しだした街は少しそわそわしている。28日という日は、まだ仕事のある人、休みに入って家の用事や帰省にいそしむ人、僕のようにわずかな休みでレジャーに出かける人が入り乱れて空気がごった返している。年末の新快速はまだ平日ダイヤでせわしなく近江と播磨を往復する。

滋賀は能登川を越えると気候が変わると言われる。遠くに白く染まった伊吹山の姿が見える。瀬戸内の穏やかな気候に慣れているので、雪を見ると遠くへ来た気持ちになる。

多くの人を運んできた新快速は、米原で8両を切り離す。この時期に米原で降りた人は多くが東へ向かいオレンジの東海道本線へと乗り継ぐことだろう。残された人を載せて、もはや普通列車となった新快速は近江塩津を目指して北陸本線へ入る。

木本神社

7年ぶりに虎姫駅に降り立った。駅の様子は7年前とは変わりない。

時刻表を見て次の列車が1時間後であることに気づいた。30分に1本程度はあるだろうと高をくくっていたが、1時間後の列車を逃すと、さらに1時間後の列車を待つ間何もできなくなる。本数の増える長浜まではあと1駅なだけに少し歯がゆい。

ともかく、まず大木本神社へ歩いた。冬の空気の満ちた駅前通りは閑散としている。車通りもない駅前の道をしばらく歩くと突き当りに神社があった。

主祭神  少彦名命 古くは錦織の荘に属しており、鎮座地がその東北部に当たることから鎮護の神として奉斎し、地主権現または王内儀権現とも称した。 永禄三年(1560)、浅井久政が大寺村の王内儀権現に奉納した鰐口(わにぐち)が伝わる。

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主祭神は医薬の神様として知られる少彦名命。大きな神社ではないが地域の氏神様として大切にされているようだった。

あいにく社務所も閉まっており御朱印はいただけなかったが、手を合わせた。

玉泉寺

虎姫駅前に戻る。虎姫駅前には巨大な看板が立っている。前回訪れた時のこの看板が印象に残っており、今回ちゃんとお参りしてみようと思ったのだった。

近くの小川に沿って歩く。冬山から続く小川には澄んだ水が流れている。冬晴れの澄んだ空気の水辺を歩くのは気持ちがよく、それだけで都会でついた心の汚れが落ちるように感じる。

集落の表通りを歩いていると、大きな地図に出くわした。地図に従って車も入れない細道へ入る。少し心もとなかったが、ほどなくして大きな本堂が見えた。

手水場で手を清め、水かけ地蔵様に恐る恐る水をかけた。「オンカカカビサンマエイソワカ」と真言のカンペが書いてある。呪文のように聞こえる真言も深い意味があるらしい。

本堂に上がると南無阿弥陀仏を唱える声が聞こえてきた。ほどなくして声の主とは異なるお坊さんが現れ応対して下さった。おみくじと書き置きの御朱印をいただいた他、手渡しで良源の生い立ちを綴ったマンガをいただいた。下記のように有志で作られたようだ。

元三法師、慈恵大師とも言われる良源は長浜に生まれた。あまり高い身分ではなかったものの、比叡山や当時権力を握っていた藤原氏に認められ、荒廃していた比叡山を立て直す高僧となる。良源の「人は誰でも心を入れ替えれば悟りを得られる」という考えは、限られた人が厳しい修行によってしか悟りを得られないという考えを覆し、のちに法然の浄土宗や親鸞浄土真宗につながっていったのだろう*1

ちなみにおみくじは確かに良源がそれらしいしきたりの元祖らしいが、その当時は写経などの厳しい修行を終えて初めて見ることができるものだったらしい。

長浜鉄道スクエア

長浜駅に1駅だけ戻って長浜鉄道スクエアに入った。

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滋賀県内の鉄道の要衝と言えば米原のイメージが強いが、実は長浜の方が歴史が古い。言わずと知れた最初の鉄道である新橋-品川間や神戸-大津など鉄道が散発的に作られ始めていた時代、5番目の鉄道路線として長浜-敦賀間が開業した。当時は大津から長浜までは琵琶湖の船を経由していた。つまり長浜は滋賀県内で2番目に歴史がある鉄道駅、そして日本最初の鉄道連絡船の発着地となる。

300円という激安な入場料を支払って入った。施設は鉄道歴史館、北陸本線電化記念館、車庫の3つからなる。北陸本線は直流電化と交流電化の2つの系統が入り組んだ複雑な路線であり、そこを行きかう機関車や電車は交直流両方に対応し、切り替え地点ではデッドセクションを通過するなど、様々な工夫のもとに列車が運行されていた。

車庫には蒸気機関車D51電気機関車のED701が静態保存されている。ともにかつては北陸本線の輸送の主力であった機関車だ。今は動力分散化されて機関車運行の列車はほぼ消滅しているが、かつてはこういった機関車が客車を引っ張る編成も多かった。

蒸気機関車の配管はいつ見てもほれぼれする。現代であればワイヤハーネスなどを使った配線を通る電気が制御しているものが、当時は精密に配線された細い配管を通る蒸気によって制御されていたのだ。蒸気は電気よりはるかに簡単に漏れるし気温や湿度などにも左右される。それが蒸気機関車の人間臭さのようなものの源になっている。

琵琶湖

琵琶湖が見えるところに座ってコンビニで買ったドーナツを食べた。夕日がちょうど今日の着地点を探っている時間帯だった。

自分の出したゴミを袋に入れると、足元にヨーグルトのカップが落ちているのに気づいた。せっかくゴミ袋があることだし、神社や寺で心がきれいになっていたこともあってか、ゴミ拾いをして帰ることにした。

ヨーグルトのカップ、おにぎりの包装フィルム、乳酸菌飲料のプラスチック容器。落ちているゴミは多種多様だが、人の手によって捨てられたゴミが自然に生まれたものでないことは一目見ればわかる。

心無いゴミ捨てをする人がいる一方で、ゴミを拾う人もいる。「ゴミ拾いをすれば確実にいいことがある」と合理的な信念に基づいてゴミ拾いをする社長がいる*2花巻東高校の監督は「ゴミを拾うことは運を拾うことだ」と教え、大谷翔平は海を渡っても実践し続け支持を得ている*3。年の瀬に亡くなったアントニオ猪木は、死ぬ間際まで「ゴミを世界から消し去りたい」と言っていた。世界を見れば、貧困ゆえにゴミ漁りを余儀なくされる子供たちもいる。ゴミは人の欲望とそれに向き合う心を映し出す鏡でもある。

ゴミ拾いをすると、確かに何かいいことがありそうな気がしてきた。根拠があるわけではないしいわゆる公正バイアス*4なのかもしれない。しかし自分の手で確実に琵琶湖はきれいになった。それだけで十分満足できた。

ラーメン

京都駅の拉麺小路にあるラーメン東大に入った。やっぱり鈍行旅の締めはラーメンに限る。

まとめ

今回も非常に学びの多い旅だった。

  • お参りすると心がきれいになっていろんなことがいいことだったように思える
  • ゴミ拾いは確かにコスパがよい
  • 仏教は歴史として体系化されているのでとても興味深い